セラピストのつぶやき

自分史 ⑦ 「運命と不妊治療」

自分史7日目。

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高校と大学も卒業した後、
私は以前書いたように、日系の証券会社に就職しました。

そして最初に配属された支店、
それが「鶴見支店」でした。

8年前、私が愕然とした恐怖の治療方法を聞いた、
あの大学病院のすぐ近くにある支店でした。

運命って面白い。

2001年、私が入社した年は激動の年でした。

9月にアメリカで同時多発テロが起こり、
日経平均株価は今まで見たことがない価格にまで下がり、
絶対に元本割れしないと言われていた商品までマイナスになっていました。
土日も出社してお客様に謝りと説明の電話をしました。

社会人1年目にして、
お客様の資産を運用・管理するという営業社員の責任の重さをしみじみと感じた年でした。

そして株価暴落によって証券会社の収益が圧迫したのを理由に、
全国の店舗の統廃合が行われ、
私が配属された鶴見支店は一番小さい分類の支店だったものあって、
その年には閉鎖され、川崎支店に吸収合併され、私たちは全員川崎支店勤務となりました。

そう、ほんの一瞬の鶴見支店勤務だったんです。
でもその支店に配属になったからこそ、またあの大学病院に行ってみようと思い立ったんです。

やはりずっと気になっていたコンプレックスを
どうしてもそのままにしておきたくなかった。
自分を何とかして変えたかった。

そして
最終的に勇気を出して
その恐怖の手術を受けることになる訳ですが、
それがある意味、
私の意識を大きく変える出来事になりました。

配属後、その大学病院に通い始め、
結局2年間歯の矯正をした後、
会社に伝えて少しお休みをいただき、顎を切断する手術を受けました。
ちなみに私の場合は、
歯列矯正だけでなく手術もしたので保険適用になりました。

この手術は、全身麻酔です。

なので、覚えているのは、
手術台の上に乗って麻酔が出てくる呼吸器を口に当てたれて
「はい、吸ってー!」と言われて息を吸ったところまでです。

当たり前ですが、そこで記憶がプツッと途切れました。

そして次に目が覚めた時には
病院のベッドの上。

パンパンに腫れた顔の周りには包帯が巻かれ、
上下の歯は針金でぐるぐると止められているので口は全く開かず、
喉の下側に小さな穴が空いていて
そこから管が出ていて箱につながっていて
中から不要な体液を垂れ流しているという、、、

なんとも恐ろしい状態でした。
まぁ、見た目の恐ろしさはいいとしても、
麻酔が覚めてくると痛みと苦しさが襲ってくる。

特に、喉には、
胃から続いている流動食用の管が通って鼻から出ている状態なので
喉がどうも苦しくて呼吸が浅くなっている気がして、
夜になるとプチパニックでした。。。

今思い出しても冷や汗が出るような、そんな数日。。。

でも、人間の骨ってすごいなと思うのですが、
時間が経つと少しずつくっついてくるので
上下の歯を止めていた針金も取ることができ、
1週間もすると柔らかいものは普通に食べられるようになりました。

そして顔の腫れが落ち着いてきた頃、
私にとって今まで聞いたことのない言葉をかけられるようになりました。

お医者さんに
「可愛い可愛い」と言われるようになりました。
鶴見支店の時のお客様がお見舞いに来てくれたりしたのですが、
「高校生みたい、可愛くなったねー」と言われました。

びっくりです。。。

それまではずっと
見た目のコンプレックスに意識を向けていたので
もしそんな言葉を今までかけられていたとしても
全く聞こえなかったと思いますが、
その時は妙に耳に入ってくるようになりました。

そして

自分の顔をちゃんと見て初めて
「私の好きな顔してる」と思ったんです!

こんなことは初めてのことです。
それは私の人生を変えるきっかけになりました。

自分の容姿に自信が持てないってことって
誰しもあると思うのですが、
私はそれまで本当にコンプレックスの塊でした。

顔は歪んでいるし、性格は暗いし、思ったことも言えないし。
何も良いことがない。

可愛い子が羨ましかった。
だから、女の子らしい子は毛嫌いしてた。
男っぽく、サバサバした性格になろうと思った。

でも自分のコンプレックスが急に気にならなくなり、
笑う機会も増えて来たことで、
人に対して自分が今まで以上に開けるようになって来ました。
チャレンジしたい気持ちも増してきました。
人の良さに目を向けられるようになりました。

女性の笑顔って素敵だなと思うことが
どんどん増えて行くようになりました。

そして、私は自分自身を含めて
「女性を笑顔にしたい!女性の笑顔を見たい!」
そんな風に思うようになりました。

それが今の仕事を続けている理由の二つ目です。

そしてこれは会社を辞めてからの話ですが、
笑顔にしてあげたいと一番先に思ったのは、
産後のお母さんでした。

妹の出産をきっかけに産前産後ケアの勉強をし始めたのですが、
ボディケアを一番必要としているのは
誰よりも産後のお母さんじゃないかと思い、
友人を通じて茅ヶ崎の産婦人科でのお手伝いから始まり、
今は横浜市と横須賀市にある産婦人科クリニックで働いています。

今までと違う体になって
心の不安定になりがちな新米ママが
産後ケアを受けた後に笑顔になる瞬間ってものすごくキラキラしているんです。
本当にみんな可愛い。

そして
女性が笑顔になるために
もう一つ忘れてはいけないことがあるということにも
30代前半には気付いていました。

最初に気づいたきっかけ、それは「不妊治療」です。
それがセクシャリティの勉強を始める最初の動機になりました。

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