先日、面白い本を読みました。
私は誰か気になる人や尊敬している人が推している本は
だいたい読むようにしているんだけれど、
これはなかなか難しい内容ながらも
これから必要な概念の一つなんだろうなと思った。
世界は贈与でできている
――資本主義の「すきま」を埋める倫理学
(NewsPicksパブリッシング) 単行本
– 2020/3/13
贈与って、
日常生活ではあまり使わない言葉だけれど、
辞書で見てみると、
金品を人に贈ることを意味したり、
自分の財産を無償で相手に与える意思を示し、
相手が受諾することによって成立する契約のことでもあるらしい。
なんか難しい。。。
でも旅のお土産を買ってきて
友人に渡すのも贈与だし、
そういう意味では
贈与って、
見返りを期待しないで何かを渡すことなのかなと思う。
贈り与える、ということは
なんのお返しもなく、見返りを求めないということ。
先週沖縄を旅行して一番思ったのは
この「贈り与える」ことの持つパワーのこと。
沖縄では
そこに住んでいる友人たちがたくさんの贈り物をしてくれた。
私のためになんの報酬もなしに
いろんな場所を案内してくれたり、
空港まで送り届けてくれたり、
お食事を提供してくれたり、
ある意味での「贈与」をたくさん受けてきたら、
その大きな愛のエネルギーが私の中でも大きくなって
またそれをどこかで誰かに還元したいという、
パワーになっていることを実感した。
「こんなところに連れて行ってあげたい!」
「ここの美味しいものを食べさせてあげたい!」
それをやってあげることが喜びなんだよ、と。
沖縄の友人が言っていた。
だから、
そんな風に私が受け取ったエネルギーを
資本主義でいう等価交換のようにその人に返すのではなく、
またそのエネルギーを次の人に回していく。
これこそが
「循環」を生み出す元なのかもしれない![]()
素晴らしい体験ができて本当に感謝しかない。
有難い。
きっと彼女たちには
自ら回したエネルギーが何らかの形で返ってくるんだと思う![]()
そして、よく言われていることだけれど、
この本に改めて「当たり前」「有難い」について書かれていたので
引用させてもらおうと思います。
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何気ない日常の中で、
溢れている無数の贈与(のありがたみ)は隠されています。
それらは「あって当たり前」であって、
それが無ければ僕らは文句を言う。
逆説的なことに、現代を生きる僕らは、
何かが「無い」ことには気づくことができますが、
何かが「ある」ことには気づけません。
世界を出会い直すことで、
僕らには実は多くのものが与えられていたことに気づくのです。
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自分にとって当たり前になってしまったことって
ちゃんと意識しないと
「有難い」ということを忘れてしまう。
時には、
そこにあることが当たり前になってしまって
もしそこにないと分かると、
傲慢になって自分勝手な考えに支配されたりするんだけれど、
何も無い場所に行くと
ちゃんとある場所の有難さにやっと気付く。
旅に出ると良くわかる。
そして
自分の所有している物や周囲の環境だけでなく、
自分の内側には必要な叡智は全て備わっている。
自分に「ある」ことに
もっともっと目を向けてあげよう![]()





