今日はクリスマスですね!
昨日のイブの夜は
職場の近くや家の近くのコージーコーナーに
長蛇の列ができていたけれど、
食のことを勉強してからは
この列に拒否感しかなくなってしまった
毎日綺麗に並べられた色鮮やかなあのケーキたちが
何を使って作られているのか、
その原材料をどうしても考えてしまう。。。
美味しく食べるのが何よりも大切ではあるので、
そういう観念さえ邪魔かもしれないけどね。
私はふと思い立って
今日はクリームチーズと平飼いの卵を使って
ベイクドチーズケーキを作ろうと思います。
久々のチーズケーキ
先日の23日、
シャーマニズム的な冬至のセレモニーに参加しました。
インディアンドラムの音が鳴り響く中で
「自分の成長を阻害しているもの」を見つけて
それを手放すという旅。
うーん、
自分の成長を阻害しているものってなんだろう?
すぐ思いつく人もいるかもしれないし、
考え込んでしまう人もいるかもしれない。
私はこのところ話題になっていた言葉が思い浮かんだ。
それは「支配欲」
人間の本質的なところに
必ずこの「支配欲」は存在しているし、
同時に「支配されたい欲」も存在している。
だから、この欲求がない人はおそらく存在しない。
誰か、何かを支配したい、自分の思い通りにしたいという欲が
自分の成長を阻害しているのかも?と思ったけれど、
ちょっとそれは違っていた(私の場合だけど)
私の中に大きく占めているのは
「支配欲」より、「支配力」の方がしっくりくる。
その場に調和を促し、
場を掌握するような支配力を使って
その時間を動かしていくのが好き。しかも巧妙に(笑)
そこの支配力が生まれているのがわかる。
ジャーニーを続けた結果、導き出されたのは、
「萎縮する意識」だった。
おそらく私の中にある「支配欲」の方が優勢になると、
その支配したいという観念が身近な人に投影されて
逆に支配される側になり、
その時に萎縮してしまっている自分に気づいていた。
萎縮している時の自分は
体の周りを分厚い膜が覆っているような感覚になり、
自分らしくいられなくなり、
殻にこもって身を守っている感覚。
だから、成長を阻害するというか、
成長を止めてしまう感覚。
そしてそれを紙に書いて火で燃やして
手放しを意図した。
そしてそれは
すぐに変化したことがわかった!すごい!
私が萎縮してしまうような性質の人を前にしても
自分の肚が強固に座っている。
支配してくる人が目の前にいても
自分は自分のまま何も変わらず、
むしろ何事にも動じず、強い自分が認識できた。
このシャーマニズム的な儀式、
めっちゃ面白かった
覚悟して内面の意識を変えると
現実は変わる。
内面の意識がネガティブなまま、もしくは現状維持を決めていると
やはり現実は変わらない。
私は今回の冬至の前日、
今まで圧倒的な想いを寄せて1年半ほど取り組んできたことを
ほぼ手放すことを決めた。
「手放す」というか「諦める」に近いかな。
「諦」=「真理、道理」
「諦める」=「明らむ」「つまびらかにする」「明らかにする」
つまり、
真理、道理を明らかにする過程で、
自分の願望が達成できそうにない理由が分かり、
納得して
それへの思いを断ち切るということらしい。
さらに、
自分の願望だと思っていたものが
知らぬ間に誰かの願望と混同していて
自分の願望だと思い込んでいた。
自分なりの真実を見つける旅に出た時、
私が本来やりたかったことを見失っていて
何か見えない力に支配されていたなと判明。
だからその中で達成したいと思っていたことさえ、
私がやる必要のないことだと認識し、
諦めることにした。
その過程が本当に深くて深くて、
だからこんなにも長く風邪が治らなかったんだな。
改めて「風邪の効用」ってすごいなと感じている。
おそらく来年には、
自分の中の真実でないものは持ち込むことができない。
今の自分には合わなくなったもの、
違和感を感じるもの、
エネルギーが古いもの、
自分の足を引っ張るもの、
無意識で続けている不要な習慣、
「これが自分だ」と自分で定義してきた自分、
来年は変化の多い年になるということは間違いないので、
そういったものを今年中に認識した上で、
ゆっくりでもいいから
来年に向けて刷新し、今のうちに整理整頓しておこう。
きっと今日は
自分の真実に気付かされるような、
本来の自分を見せてくれるような、
そんな日になるんだと思います!
メリークリスマス