セラピストのつぶやき

枠にハマらない

とうとう昨日から11月に突入!
2020年はいろんな出来事が起きたけれど、
それと同時に
身近な人や自分の内面にじっくり向き合ったり、
人との価値観の違いを認識したり、これからの生き方を模索したり、
精神的な成長を促しているような、とても貴重な1年なんだろうなと思います。

先週末、ものすごい楽しそうなイベントに誘われて新宿まで行ってきました。
バスあいのり3丁目テラスという、新宿伊勢丹の裏の広場、野外でのイベント。

DJブースがあって
みんな適当に踊っていて飲んだり食べたり喋ったりまったりしたり。
途中、バーレスクやポールダンサーのショーもあってキレッキレの踊りに興奮した!

昔、いつまででも踊っていたくて
夜な夜なダンサーが集まるクラブで踊っていた20代。なんだか懐かしい感じ。

そしてこのイベントで
ヴィヴィアン佐藤さんという、すごい方と出会った。
ドラッグクイーンであり、非建築家、美術家、映画評論家。

枠にはまらない、型にはまらない、
男らしさにも女らしさにも固執しない、はみ出し続けるそんな生き方を話してくれた。

その時に、
高校や大学でも教えていると仰っていたのですが、
名門:開成高校で倫理の授業をされている風景がインスタに載っていてなんだか衝撃を受けた。

こんなことを話したと書いてあった。(一部引用)

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領域を横断してジャンルに囚われない仕事に就きたかったこと。そういう人間をずっと探していたこと。

「職業」を目指すのではなく、「目的」を持てばどんな「職業」でもそれは実現可能だということ。

「Wikipedia」だけを信じてはいけない。「Wikipedia」は権力の情報だということ。

歴史は最後の「勝者」によって書き換えられていく。
「歴史」には「勝者」意外に、
「敗者」「忘却された者」「消去された者」「埋没した者」「声を失った者」などがおり、
頭数で言えばその方が多く、見えないそれらの者たちに耳を傾けること。

人物も土地も出来事も、歪な多面体であること。

「化粧」や「着飾る」ことは、本来の自分のひとつに戻ること。

土地も人間も本来潜在的に持っている面に自ら気付き認め、それを表面化してあげ救済してあげること。

土地は均一ではないし、時間は一歩方向に同じ速度では流れない。
「現在」の中に、「過去」も「未来」も既に含まれているということ。

映画を誤読すること。
映画は役者にとってはフィクションだが、鑑賞者にとっては紛れもない現実で、
それを「作品」として終わらせず、その解釈の方法を現実社会に活かすこと。
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高校生の時にこんな話を聞いていたら、
未来に大きな希望が湧くのではないか。
もっとこれからの人生について深く考察するのではないか。

でももし私自身が高校生の時にこの話を聞いていたら、
その内容は自分の心が受け入れられただろうか?

どちらにしても、この方の話をもっと聞いてみたいと思った。
そして見つけたこのインタビュー記事を見て、ますます目が離せなくなってしまった。

「とび抜けないと意味がない」
「自分の内面を表出させる」

私の中でものすごい刺激になった。

私の中にある表出できていない自分ってなんだろう。
飛び抜けたいのに飛び抜けられない原因ってなんだろう。

すぐに分析してしまう私だけれど、
そこにはまだまだ人の目を気にする自分と新たな恐れがあることは分かっている。
私の人生のテーマであり、私の人生の師匠でもある。

これからもっと自分の外側にまとわりついている、玉ねぎの皮たちを1枚1枚剥いでいきたい。

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