この連休、京都で少し遊んできた後は
彦根にある父の実家の整理整頓をしてきました。
片付ける必要がある離れの小屋の中がどうなってるのか
さっぱり分からないくらい物が詰まっていたのですが、
それを全部出して必要なもの不要なものを仕分けして不要なものは全部破棄。
粗大ゴミと本・資料の山だったので
比較的脳は使わなくても分別できたけれど、断捨離を完了した達成感でいっぱい!
やっと窓も開けられるようになって風が通って全貌が明らかになったのが嬉しい。
中には歴史的に貴重な焼き物だったり、
時代を感じる古風でおしゃれな火鉢や灰皿なんかも見つかって
お宝探しをしているようでとても楽しかった。
それをこれからどんな風に活用しようかと考えるだけでとてもテンションが上がる。
やはり私は家事の中で掃除や片付けが一番好き。
綺麗になっていく様がとても心地よい。
ちょうど友人が読んでいると聞いて気になった本、
三砂 ちづる (著)「月の小屋」にお掃除のことが書いてあった。
家の周りの整理整頓やお掃除を仕事としている人のお話。
その方は家族が次々と亡くなって
その遺品の片付けを何度もやってきたのをきっかけにプロのお掃除屋さんとして働いている人だった。
その人の言葉がとても印象に残っている。
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掃除や片付けって
自分のためではなくて、残される人のためにやるんですね。
間違っているかもしれないけれど、私はそう思うようになりました。
自分が死んだ時に、他の人が部屋を片付けるとしたら、
自分が大切にしてきたものがすぐにわかるようにしてあるといいですよね。
捨てられてもいいものと、
自分のことを覚えていてもらうきっかけになるものは、
別においてあった方がいい。
つまり、死んだ後に、どう整理されたいか、を考えるんですよ。
そうすると、
あるべき場所とか、仕訳の仕方とかは自ずと決まってくると思うんです。
つまりね、
私の掃除の方法は、とても簡単なことです。
掃除するのは私なんですが、他の人の目で掃除するわけです。
掃除した私でもなくて、第三者の目で。
第三者の目で整理された部屋は、
結局は持ち主にとってもスッキリした部屋になっているのです。
掃除と部屋の整理は、よりよく死ぬための準備ですから。
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離れの小屋の片付けをしている時、
この引き出しは祖父が大事なものを入れていたんだなという場所があった。
手紙が入っていたり、戦争に行った時の名札が入っていたり。。。
私もこのプロのお掃除屋さんのようにいつか自分が死ぬ時のために掃除をしてみようと思う。
私にとって何が大切で、何がもう不要なものなのか。
これって、人生の選択と同じような気がする。
掃除や片付けをすることで、
本当に大切なものを選択する力を育み、
不要な過去のパターンや重荷になっているものを手放す力がつくかもしれない。
「人生のお片付け」
もう少し私も見直してみようと思ったのでした。