今朝、蠍座の新月を迎えました。
蠍座の時期はディープな期間には間違いないけれど、
これまであった何かが過ぎ去り、
新しい何かが蘇ってくる象徴のようなお月様。
私にとっては「強さ」とは何か、
心の奥から考えさせられる日々だった。
理由は、ある友人に
「あなたは強い!虎みたい!」と面と向かって何度も言われたことに
なんとなくモヤモヤしていて、
え?虎?虎なの???と、
その文言に妙にスタックされてしまった。。。
私はずっと昔、小学生〜高校生にかけて、
精神的強さが欲しくて仕方なかった。
日々緊張する生活、周りにビクビクしている人生なんて、
早く消えてなくなってほしかった。
だから、強くなりたかった。
その強ささえあれば、楽に生きれると思っていた。
事実、感情をできるだけ出さずに、なんでもないふりをして生きてきて、
相手に自分の弱いところや本当は怖くて仕方ないことも伝わらずに済んでいた。
だから、精神的に強いと思われていたのかもしれない。
でも私の中のインナーチャイルドが徐々に暴れ出していた。
やっぱり誰も私のことなんて分かってくれない。
私はそんなに強くないのに、それを誰も分かってくれないって。
そして、そこには大きな矛盾がある。
精神的な弱さを見せないように生きてきてそれに成功したのに、
誰にも理解されない!と駄々をこねている自分、
全く満たされていない自分がいる。
子供の私は、本当の自分がどれなのか、少し混乱している。
本当の自分を出しきれない葛藤がずっとあったんだと思う。
先日、鎌倉のあるお屋敷を見学させてもらえる機会があった。
鎌倉市に寄贈され、
鎌倉市景観重要建築物となっている古民家、旧村上邸。
https://kamakura-mirai-lab.com
ある会社が管理してレンタルスペースとして貸し出している。
お屋敷もお庭も素晴らしかった。
能舞台まであって、歴史的建造物として圧巻だった。
そこで今月末、
私の尊敬するダンサーさんが公演を行う。
その下見に便乗させてもらった。
そして、私は彼女の強さを目の前で見させてもらった。
演者は場があるからこそ、外に向けて表現ができる。
その場をお金を払って借りるということを当たり前にできることとは思わず、
自分の考えを押し付けず、
場を貸してくれる方の状況や想いを最大限に汲んで、
柔軟に柔らかく歩み寄る姿勢があまりに強く美しくて圧倒された。
彼女を見て、感じた。
強さとは、柔らかさとしなやかさに他ならないと。
自分軸や強い意志も必要だと思う。
でもそれだけではなく、
受け入れる、委ねる、という柔らかくしなやかな心のあり方が大事なんだな。
別の知り合いに、
強いってどういうことだと思う?と聞いてみた。
そしたら、同じような返事が返ってきた。
「強い」ということは、
自分の確固たる意志があり、それを表現できること。
と同時に、
そこに固執することなく、他も受け入れる柔軟性や大きな器があるということ。
だと。
ここ1週間くらいで、
大きな気付きの時間を過ごさせていただきました。
昔の強そうで弱かった自分を改めて振り返り、
今の自分は弱い部分もあるけれど自分なりの強さを持っているなと
新しい自分に出会ったようなそんな時間にもなりました。
そして、「虎」という言葉にスタックされていた1週間で、
虎の映像を見る場面が
なんと5回もあった!!!
今読んでいるサバイバル系の漫画の1シーン、
一昨日見た映画「カナルタ」の1シーン、
タイ料理屋に入って目の前に出てきたビールのラベル、
あるオンライン講座を受けていたときに講師が言っていた言葉、
家族から受け取ったラインのスタンプ。。。
現実世界はやはり自分自身の内面のイメージで作られているのは
間違いない。。。
自分の心を支配しているものを今見るように現実は作られているんだろう。
であれば、自分が作りたい未来をイメージして生きていきたい。
私は虎というよりは、
しなやかな鹿にように生きたいと思う