昨日夏至を過ぎました。
昼間が最も長い日、あいにくの曇り空でしたが、
夜の時間が明るいと気分も明るくなりますね
私は少しお休みをいただいて、滋賀県に滞在していました。
辻堂のお庭の杏仕事の次は、
彦根の梅仕事。
今年はなぜかいつもより少なかったのですが、
それでも綺麗な南高梅が取れたので、
梅干しと梅シロップにします。
ここに保管してある梅干しをつける甕が立派。
辻堂では梅干しを作るのにホーローを使っているけれど、
やっぱり甕の方がしっくりくるな。
昔の人はこうやって丁寧に生活をしていたんだなと思うと
素晴らしいなと思うし、
自分達の食べるものをお庭から調達して加工するなんて
とても豊かだなと思う一方、
ここでの畑整備作業やら剪定作業やら草刈りやら
全身を使って肉体労働している時は、
なんとなく
仕事に追われてる感、終わらせなきゃ感に支配されつつあって
ふと我にかえりました。
男性的な仕事と女性的な仕事、
そこに明確な線引きはないけれど、
汗だくで草刈りをしていた時、
なんとなく男性性全開の自分になっている感じがして
ふと心地悪さを感じたというか、
本当はその時間にやりたかったことがあったのに
その優先順位を下げていたなと
ちょっと反省。
私の中で、
目の前のことに没頭していることのメリットは
何か大切なことに気付くことが多いこと、
何か大切なメッセージがふとやってくること。
ほんのちょっとの気づきがあった時にも
少し足を止めて
なぜ今心地が悪いのか、
今何を思っているのか、
どうすれば「快」になるのか、
感じてみる時間ってとても大事だなと思いました。
ということで、最終日は、
庭で蝶々を追いかけ回している黒猫を観察したり、
今年も豊作になるかもしれない小さな柿の実を眺めたり、
琵琶湖畔で綺麗なお空をぼーっと眺めたりしてました。
この地球の美しさをただただ味わっている時間を持ってみると
色々感じることがあります。
私は「何かに追われる」ということがまだ体に染み付いていて
達成感を感じること、
無になること、
効率を重視すること、
そんな陽的な思考がまだ抜けきれていないなと感じました。
それはもしかしたら、夏至の影響があるのかもしれないし、
これから陰の時間が増えていくことで
また私の中に変化があるのかもしれません。
でも目の前のことに没頭することで未来が開けるというわけではなく、
その時の自分の心の状態にちゃんと気づいていること、
自分の状態を把握した上で
もっと「快」になるためには私はどうしたいんだろう?
何を望んでいるんだろう?
ふと立ち止まる時間が必要なのかなと思いました。
AFP(アートオブフェミニンプレゼンス)のテキストに
こんな言葉があります。
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女性が、外の世界にくつろぎを探し求めるのではなく、
自分の身体でくつろげると、
それまでとは全く違う
新しいレベルの受容性と可能性に満ちた感覚へと導かれます。
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夏至の季節は、
自分の望む現実へ向かう大きな転換期だと聞きました。
もう少し意識して
自分の感じる「快」にもっとフォーカスしてみたいと思います
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