先日、いちょう団地のそばにある
ベトナム人がやっているアジア食材販売店兼レストランに行ってきました。
高座渋谷駅から歩いて15分ほどのところにある「タンハー」
レストランというよりは、屋台?に近い感じかな。
お客さんも半分くらいはベトナム人なのもあって、
急に東南アジアに来てしまったような感じになるお店で私は好き。
結構な満席でめっちゃ密な感じなのもアジアっぽい(笑)
食事できるスペースの周りには
これでもか!というくらい密にアジア食材が置いてあって
それを買いに来る人も多い。
私はトムヤムクンに細麺が入っているものを注文したんだけれど、
それがまた美味しい!
程よい辛さと酸っぱさが本当にちょうどいい。
世の中のトムヤムクンラーメンは辛すぎて
味が分からなくなってしまうものも多いけれど、
このバランスが絶妙なのが嬉しい。
アジア屋台の独特の心地よさってなんだろうと思ったんだけれど、
おそらく店主のおばちゃんが
ありのまま、そのままな感じがいいんだろうなと思う。
ちょっとベトナム語寄りの日本語を話しながら、
注文も大きな声で繰り返し、
その場の雰囲気を和らげるような、
癒しのバックミュージック的なものに感じる時もある。
皆が自然体でいることこそ、最強だ。
昔東南アジアをうろうろしていた頃は
いつもこういうお店で食事をしていた。
どんな屋台に入っても
まるで家にいるかのようなくつろぎの感覚になれるのは
あの地域独特のものなんだろうか。
コロナ禍になってからあまり外食をしなくなったけれど、
それでも何件か行ったお店を観察してみると、
居心地がいいお店と窮屈なお店がはっきり分かれるのが感じとれる。
制限を設けたり、
抑圧させるような姿勢を少しでも見せてくると
こちらは構えてしまう。
でも外国人がやっているお店で窮屈さを感じたことは
一度もなかった。
もしくはアルバイトさんに外国人がいるお店も心地よかった。
何が違うんだろう・・・
日本人は「ちゃんとすべき、守るべき」に
妙に固執しすぎるところがある気がしている。
これは日本人の精神というよりは
教育から来る根深い問題が潜んでいるんだろうけれど、
いろんなことが2つの世界に分かれてきているのは
もしかしたらある意味自然の流れなのかもしれない。
生と死、
男と女、
善と悪、
昼と夜、
明と暗、
光と闇。
それが鮮明になって
さらに目に見える形に移行しているのかもしれない。
世の中はクリスマスシーズン。
街には人が増えてきて
活気を取り戻しつつあるのはとても良いことだと思う。
でもそれと同時に、
この2年間で体と心に纏わりついてきた萎縮のエネルギーを
手放せるような次元に移行していくにはどうしたらいいのか、
もう少し考えてみたい。
今、それにも関連して興味を持って取り組もうとしているのが
「呼吸」に関すること。
深い呼吸がいいとはいえ、
肺にめいいっぱい酸素を取り込めているだろうか?
これは少しテクニックが必要だとも感じる。
さらに最近は
「ユーカリ」の精油がものすごく主張してくるので、
きっと今最もフォーカスすべきことが
「呼吸にちゃんと目を向けること」なんだと思う。
私たちが絶対になくては生きていけない「呼吸」について。
自然体であることと呼吸を変えることで
人生を思い通りにできることはきっと間違いない